2012年5月2日水曜日

戦国BASARAを知って・・・

戦国BASARAを知って・・・

長曾我部 元親は、何をした人何ですか?



できれば、具体的にお願いします。







簡単にまとめると

土佐(現高知県)を支配した戦国大名で、

(短期間ですが)四国全土をも制覇した名将として知られています。

また、彼が運用した「一領具足」は戦国時代の兵制の代表的なものとして有名です。



細かい事跡についてはWikiを見ていただくのも良いと思いますが、先日小学館のウィークリーブック「真説 歴史の道」で「長宗我部元親 土佐統一への道」が発売されました。

http://www.shogakukan.co.jp/magazines/detail/_sbook_2632206110

結構わかりやすく書かれていますので、

丁度よい機会ですから一度本屋さんでご覧になってはいかがでしょう。





余談ですが、元親を知る上で注意してもらいたいのは「戦国BASARA」の長曾我部元親はゲーム&アニメのオリジナル設定の部分が非常に多いと言う点です。



そもそも元親は「海賊」どころか「海の男」でもありません。

四国内を転戦した彼の活躍は陸戦が中心でして、海戦での活躍記録はほとんどありません。

「鬼ヶ島の鬼」と名乗ってますが、これもBASARAだけのものです。

眼帯はしていませんし、目が悪かったとか片目だとかいう伝承も全くありません。

また他の回答者様も触れていますとおり、大型兵器を好んだという事実も皆無です。

BASARA劇中では毛利元就とのからみが多く描写されますが、史実ではあまり接点はありませんし、同様にゲーム内で語られた家康との友情話もBASARA独自のものです。



正直、「四国出身」という事以外は共通点がありません。「BASARAキャラ」と「戦国武将」は別物として認識することをオススメします。



-vxoyw5さんが「鬼若子」についてふれられましたので、便乗して私の「鬼若子」に対する見解も少し追記します-



姫のようにおとなしく、ひ弱に見えた元親が、初陣で大活躍を果たし、父を始め周囲の者を大いに驚かせた・・・・この「姫若子→鬼若子(あるいは出来人)」のエピソードは「能ある鷹は爪隠す」「人は見かけによらない」という訓話的な性質を持つものです。



この場合、「鬼若子」の「鬼」はあくまで「姫」への対比的な表現であって、これは他の武将につけられる「鬼島津」「鬼義重」「鬼道雪」「鬼武蔵」等のあだ名とは意味合いが大きく異なるモノだと考えます。実際に「鬼元親」とは呼ばれず「鬼"若子"」とされる事が何よりそれを物語っています。つまるところ、「鬼若子」とは元親の初陣エピソードだけで語られる、若年の彼の一時的な通称でしかないのです。



ですから、もしBASARA製作陣が元親を描写するに当たって上記のエピソードを知った上で「姫」の名を無視し「鬼」の名だけを採り上げるようなキャラ付けを行なったのであれば、それは彼の伝承の意味するところを全く理解していない、心得違いも甚だしい行為と言わざるを得ません。








mukimioverheatさんの記事に補足ですが・・

BASARAではなぜか海賊にされてる元親ですが、海戦は殆どしておらず小田原攻めの際水軍の指揮を執ったことがあるのと、朝鮮出兵に行ってるだけですね。



>「鬼ヶ島の鬼」と名乗ってますが、これもBASARAだけのものです

初陣で(他の武将より遅く、22で初陣だったそうです)獅子奮迅の活躍を見せたことから「鬼若子(おにわこ)」とは言われてましたが。

史実では幼少期は色白で引きこもりがちだった為「姫若子」と言われ(BASARAには「姫若子」の描写は微塵もありませんが)他には「土佐の出来人」の別名がありますし、信長には「鳥無き島の蝙蝠(有力な大名のいない四国にあって少し飛べるだけの存在)」と評されたそうです。



BASARAでは元親、元就とライバル関係になってますがアレは大嘘です。元就本来のライバルは尼子氏で元就が当主となった時期の毛利家は周防の大内氏と出雲の尼子氏との間に挟まれていたため元就が当主となると大内氏と同盟を結び、尼子とは長年抗争を続け、元就の晩年には大友氏と戦ってます(この時期の大友家当主である宗麟(義鎮)はキリシタンで有名)

史実で長宗我部と縁があったのは信長や秀吉で元親が四国統一の為の外交手段として信長と外交していた時期があって信長から「四国は元親の判断で切り取ってよい」というお墨付きまでもらってたんです(後で反故にされたが)。外交手段の一環として嫡男には信長の”信”の字をもらい、”信親”としていたほど。(その信親も九州攻めで戦死してしまうんですが)

長宗我部との交渉役をしていたのは明智光秀でこれに関しては光秀の重臣・斉藤利三(としみつ)の妹が元親の妻となっていた縁があったため。本能寺の数ある動機の中に「四国征伐回避説」ってのがあるほど。本能寺の変は6月2日未明ですが、四国征伐軍の出発予定日は6月2日だったが本能寺の変が起こったため、元親は難を逃れたわけで。



さらに戦国BASARA3の設定では元親は秀吉に従ってませんが、史実では1585年の四国征伐の際、当初は徹底抗戦を唱えてましたが家臣に止められて結局は降伏し、土佐一国を安堵されそれ以降は秀吉幕下の武将として活躍しています。史実では政宗同様秀吉とウマが合ってたらしいですよ。



実は史実では四国征伐前に元親は2度ほど秀吉に逆らってたりします。「賤ヶ岳の戦い」では柴田勝家を支援していますし、「小牧・長久手」の戦いでも家康を支援しています(これが四国征伐の遠因だったそうです)。元親自身は家康寄りだったそうで亡くなる何年か前に家康とよしみを通じてたのだとか。

余談ですがBASARAの大元となった「戦国無双」にも長宗我部元親は登場しますが、シナリオに関してはBASARAよりも史実に近い描かれ方をされてます。(登場はBASARAより後だし、無双にもIF設定やIFシナリオが盛り込まれてますが)







大まかに言うと、四国平定をした人ですね~。



ウィキペディアが解りやすく纏まってます。



私的には、戦国武将らしからぬ逸話がオススメです♪



http://mwkp.fresheye.com/mb/m.php/%e9%95%b7%e5%ae%97%e6%88%91%e9%83...







長宗我部元親は長宗我部国親の嫡男として生まれ、幼少期には「姫若子」と呼ばれるような人物でしたが、土佐統一後は「土佐の出来人」と呼ばれるほどの大名として成長します。のちに織田信長と組み四国全土を統一しますが、豊臣秀吉の四国征伐に敗れ土佐一国のみを安堵されることになります。秀吉の九州遠征時に戸次川の戦いで嫡男信親が戦死し、晩年は覇気を無くしてしまいました。ただ信長は元親のことをあまり高く評価していなかったと伝えられています。戦国BASARAの元親は南蛮兵器の多用が特徴ですが、戦国時代に南蛮兵器を使用したことで有名なのは大友宗麟の国崩(大砲)だと思います。長宗我部軍本来の特徴としては一領具足という半農半兵の兵士があげられますが、BASARAでは取り上げられていません。

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